1年生がんばれ
ゴールデンウィークは終わり、5月病の季節がやってきました。
ゴールデンウィーク直後の朝日新聞に、最近は、一過性ではなく、一年中強いストレスを感じる人が多く、5月病は死語になりつつあるという記事が載りました。
多くの人が、一年中、心が休まらない生活を強いられるのは、日本の社会では、人と人との関係が正常に作動していないということだと思います。
誰もが社会とうまくやっていけないと感じる今の世の中で、とりわけ、うまくいかないことのストレスを感じているのは、外国にルーツのある子ども達でしょう。
彼らは、未経験の出来事を予想する環境に恵まれていません。また、家庭内で日本の社会に順応するための訓練も受けていません。
そのため、様々な規則によって成り立つ学校は、そうした子ども達にとっては適応が難しいところです。
それでも、3月の終わり、外国籍の女性たちから、「うちの子、1年生になるの」と、はずんだ声での電話をたくさんもらいました。
どのお母さんも、言葉も文化も違う日本で、苦労して育てた子どもの成長を誇らしげに話してくれました。
そんな1年生の何人かをここで紹介します。新しい環境に早く慣れ、学校が楽しいところになるようにと願っています。
街で見かけたら是非、よくがんばっているねと褒めてあげてください。
☆Aくん、保育園を卒業して1年生になりました。
Aくんは、日本でフィリピン人の母と、日本人の父の子として生まれました。しかし、Aくんが2歳の時に、両親は離婚し、離婚後、フィリピンにいる祖母のところに預けられました。
ところが、その2年後、4歳の時に、再び、日本に連れ戻され、母と同居をすることになりました。
母が在留資格のないフィリピン人の男性と再婚し、その男性が入管に出頭するに当たり、身元保証人である母が、日本に在留する要件を整える必要があったのです。
入管出頭から2年後、今年3月初め、母が再婚した男性は無事に在留資格を得ることができました。
そして、今年3月初め、その男性の在留が許可されました。母は大喜びで入学式の準備に取り掛かりました。
私にも電話があり、「入学式にはかせる靴下の色は白がいいの?それとも黒?」と聞かれました。「普通は白」と答えたら、うれしそうに、「じゃあ、白の靴下を買うね」と言って電話を切りました。
新しく買ってもらった白の靴下で参加した入学式は思い出に残っていることでしょう。生まれてからずっと母に人生を振りまわれてきたAくんが、早く学校に慣れ、楽しく通えるようにと願います。
そして、また再び、母と別れて暮らすことなく、母と新しい父の愛情を受け続けることができるようにと願います。
☆小学校4年生に来日したBさん、高校に入学しました。
フィリピンで生まれてすぐ、両親は別れてしまい、母はBさんの養育費の送金のために日本に移住しました。母が日本に移住した後、母は日本人の男性と結婚し、5歳違いの弟が生まれました。
しかし、母は弟が生まれて半年も経たないうちに離婚し、シングルマザーになりました。生活が苦しく働き詰めの母は、ほとんど帰国しなくなり、電話もたまにしか、かけてこないようになりました。
母を慕いながらも、自分を置き去りにした母を許せない気持ちも強くなりました。
ところが、5年前、Bさんが10歳の時、ようやく生活が落ち着いた母は、一緒に生活するために、Bさんを日本に読んでくれました。
来日後、日本の小学校の4年生に編入しました。しかし、大人しい性格のBさんはなかなか日本の学校に慣れませんでした。
フィリピンでは英語が得意で成績優秀だったBさんも、日本の学校の授業内容は全然わからず辛い思いをしました。小学校を卒業するまで、特別扱いで従業を受けていたために、友人もあまりできませんでした。
しかし、中学校に入学し、部活でバスケットを始めたことで、友人ができ、学校にもなじむことができました。友人との会話もまったく不自由しなくなりました。
それでも、やはり、志望校に合格するためには、友人の2倍3倍の勉強が必要でした。
部活が終わって帰った後、毎晩遅くまで勉強しました。毎日朝練もあり、身体はくたくたでしたが、母から、学校の成績が下がったら部活を辞めるようにと言われていたので、頑張りました。
そして、この春、私立の高校に進学しました。県立の第一志望は落ちましたが、私立の第二志望に合格しました。
私立ですが、進学校なので、授業についていくのは大変です。でも、高校は部活をやらず勉強に集中するので大丈夫と話してくれました。アルバイトも頑張り、母が借りた入学金を自分の力で返済するそうです。
高校生活が楽しみと笑顔で話してくれたBさん。楽しい高校生活になるようにと願います。
☆母がフィリピン人の母子家庭に育ったCくん、この春、高校を卒業し大学生になりました。
フィリピン人の母は、彼が4歳の時に日本人の父と離婚をしました。その後、母は仕事が忙しく、Cくんは、いつも家に一人ぼっちでした。
そして、小学校3年生頃、母はフィリピン人の恋人を家に連れて来て、同居するようになりました。母の恋人の男性は、母にもCくんにも暴力をふるいました。
とても怖くて、その男性がいなくなるように願っていましたが、母にその男性の悪口を言うと怒られるので、我慢していました。
小学校を卒業する頃、その男性は警察に逮捕され、強制送還になりました。やっと落ち着いて勉強できるようになり、成績は伸びました。
高校は経済的な事情でどうしても県立に行かなくてはならないため、私立を併願しませんでした。そのため、高校入試はプレッシャーで2回も落ちてしまいました。
ところが、ほとんどの県立高校の入試終了後、最後に二次募集で受けた県立高校に見事合格しました。最後の入試でレベルの高い進学校に合格したのです。母は大喜びで、近所中に自慢して歩きました。
高校は野球部に所属しました。進学校ですが、野球部も伝統があり強いのです。厳しい練習と野球部の費用を捻出するためのアルバイトが大変で、勉強どころか寝る時間もありませんでした。
それでも、彼は大学に行きたくて、3校受験しましたが、失敗。でも、最後にまだ受験ができた県内の大学を受け、合格しました。
外国籍シングルマザーの子で大学に行く子はかなり少ないのです。自分の力で人生を切り開いていくCくんがまぶしく見えます。
ゴールデンウィーク直後の朝日新聞に、最近は、一過性ではなく、一年中強いストレスを感じる人が多く、5月病は死語になりつつあるという記事が載りました。
多くの人が、一年中、心が休まらない生活を強いられるのは、日本の社会では、人と人との関係が正常に作動していないということだと思います。
誰もが社会とうまくやっていけないと感じる今の世の中で、とりわけ、うまくいかないことのストレスを感じているのは、外国にルーツのある子ども達でしょう。
彼らは、未経験の出来事を予想する環境に恵まれていません。また、家庭内で日本の社会に順応するための訓練も受けていません。
そのため、様々な規則によって成り立つ学校は、そうした子ども達にとっては適応が難しいところです。
それでも、3月の終わり、外国籍の女性たちから、「うちの子、1年生になるの」と、はずんだ声での電話をたくさんもらいました。
どのお母さんも、言葉も文化も違う日本で、苦労して育てた子どもの成長を誇らしげに話してくれました。
そんな1年生の何人かをここで紹介します。新しい環境に早く慣れ、学校が楽しいところになるようにと願っています。
街で見かけたら是非、よくがんばっているねと褒めてあげてください。
☆Aくん、保育園を卒業して1年生になりました。
Aくんは、日本でフィリピン人の母と、日本人の父の子として生まれました。しかし、Aくんが2歳の時に、両親は離婚し、離婚後、フィリピンにいる祖母のところに預けられました。
ところが、その2年後、4歳の時に、再び、日本に連れ戻され、母と同居をすることになりました。
母が在留資格のないフィリピン人の男性と再婚し、その男性が入管に出頭するに当たり、身元保証人である母が、日本に在留する要件を整える必要があったのです。
入管出頭から2年後、今年3月初め、母が再婚した男性は無事に在留資格を得ることができました。
そして、今年3月初め、その男性の在留が許可されました。母は大喜びで入学式の準備に取り掛かりました。
私にも電話があり、「入学式にはかせる靴下の色は白がいいの?それとも黒?」と聞かれました。「普通は白」と答えたら、うれしそうに、「じゃあ、白の靴下を買うね」と言って電話を切りました。
新しく買ってもらった白の靴下で参加した入学式は思い出に残っていることでしょう。生まれてからずっと母に人生を振りまわれてきたAくんが、早く学校に慣れ、楽しく通えるようにと願います。
そして、また再び、母と別れて暮らすことなく、母と新しい父の愛情を受け続けることができるようにと願います。
☆小学校4年生に来日したBさん、高校に入学しました。
フィリピンで生まれてすぐ、両親は別れてしまい、母はBさんの養育費の送金のために日本に移住しました。母が日本に移住した後、母は日本人の男性と結婚し、5歳違いの弟が生まれました。
しかし、母は弟が生まれて半年も経たないうちに離婚し、シングルマザーになりました。生活が苦しく働き詰めの母は、ほとんど帰国しなくなり、電話もたまにしか、かけてこないようになりました。
母を慕いながらも、自分を置き去りにした母を許せない気持ちも強くなりました。
ところが、5年前、Bさんが10歳の時、ようやく生活が落ち着いた母は、一緒に生活するために、Bさんを日本に読んでくれました。
来日後、日本の小学校の4年生に編入しました。しかし、大人しい性格のBさんはなかなか日本の学校に慣れませんでした。
フィリピンでは英語が得意で成績優秀だったBさんも、日本の学校の授業内容は全然わからず辛い思いをしました。小学校を卒業するまで、特別扱いで従業を受けていたために、友人もあまりできませんでした。
しかし、中学校に入学し、部活でバスケットを始めたことで、友人ができ、学校にもなじむことができました。友人との会話もまったく不自由しなくなりました。
それでも、やはり、志望校に合格するためには、友人の2倍3倍の勉強が必要でした。
部活が終わって帰った後、毎晩遅くまで勉強しました。毎日朝練もあり、身体はくたくたでしたが、母から、学校の成績が下がったら部活を辞めるようにと言われていたので、頑張りました。
そして、この春、私立の高校に進学しました。県立の第一志望は落ちましたが、私立の第二志望に合格しました。
私立ですが、進学校なので、授業についていくのは大変です。でも、高校は部活をやらず勉強に集中するので大丈夫と話してくれました。アルバイトも頑張り、母が借りた入学金を自分の力で返済するそうです。
高校生活が楽しみと笑顔で話してくれたBさん。楽しい高校生活になるようにと願います。
☆母がフィリピン人の母子家庭に育ったCくん、この春、高校を卒業し大学生になりました。
フィリピン人の母は、彼が4歳の時に日本人の父と離婚をしました。その後、母は仕事が忙しく、Cくんは、いつも家に一人ぼっちでした。
そして、小学校3年生頃、母はフィリピン人の恋人を家に連れて来て、同居するようになりました。母の恋人の男性は、母にもCくんにも暴力をふるいました。
とても怖くて、その男性がいなくなるように願っていましたが、母にその男性の悪口を言うと怒られるので、我慢していました。
小学校を卒業する頃、その男性は警察に逮捕され、強制送還になりました。やっと落ち着いて勉強できるようになり、成績は伸びました。
高校は経済的な事情でどうしても県立に行かなくてはならないため、私立を併願しませんでした。そのため、高校入試はプレッシャーで2回も落ちてしまいました。
ところが、ほとんどの県立高校の入試終了後、最後に二次募集で受けた県立高校に見事合格しました。最後の入試でレベルの高い進学校に合格したのです。母は大喜びで、近所中に自慢して歩きました。
高校は野球部に所属しました。進学校ですが、野球部も伝統があり強いのです。厳しい練習と野球部の費用を捻出するためのアルバイトが大変で、勉強どころか寝る時間もありませんでした。
それでも、彼は大学に行きたくて、3校受験しましたが、失敗。でも、最後にまだ受験ができた県内の大学を受け、合格しました。
外国籍シングルマザーの子で大学に行く子はかなり少ないのです。自分の力で人生を切り開いていくCくんがまぶしく見えます。
# by tanpopo-office | 2012-05-12 23:18 | 子ども




